元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
どんな時代でもお金に困らない「黒字生活」のルール

 細かい所からコツコツと…。とにかく基本を説いた本ですが、方法と言うよりは根本的な物の考え方を変えてみよう、お金を意識しようと言う方向性です。
 言い方次第ですが、金持ちになろうとか、貯蓄をいくら貯めようとか言うのとは違い、収入と支出のバランスを取る事を第一義としています。
まぁ、結局はどこに意識を据えてるかで満足度も違うよね。
金持ちでも金使いが粗ければ足りない足りないのスパイラルにハマるし、逆も然り。
 こう言う切り口の本もあっても良いなと思えた一冊。
さよなら、カルト村。 思春期から村を出るまで

 慣れと言う物は怖いと言うか…。2巻目だったんでもう普通にカルトも何も関係なく、一人の人の人生譚として読んじゃえました。
勿論一般的な話とはかけ離れたエピソードばかりで驚く事が多いし、児童虐待(?いや、ある種のカースト的なものとか、圧力とか、その他諸々)に怒りを感じる事もあるけど、本人は至って普通にそれを受け入れてて、意外と当事者ってそんなもんなのかもしれない。はたまた、その世界でしか育ってきてないから、普通が、それ。
 考えだすとまた洗脳どうのがあるけれど、大なり小なり育ってきたコミュニティや家庭だけでも驚く差異ってのもあるしね。
 多分外から見た私たちが喜びそうなドラマティックな展開だと、本人が外を知り自分の人生は虐げられていた、騙されていたとか怒り悲しむ展開なんだろうけど、この人は外を知ってもあれはあれでそういうものだっただけ、と言う本人だけが言っても許される泰然さみたいなものがあると思う。
自分の性格の良し悪しも測った上で、無理をせず何より今が楽しそうと言う、それならそれでいいかなぁ、と言う後味の悪くない生い立ち話に。
 結局は外が期待する話は特に何もないんだけど、拍子抜けこそが何もない平和って事で良かったのかも。
錆と人間 ビール缶から戦艦まで

 錆の歴史ですよ、錆と戦う人間の技術の歴史。えー、面白そう。変わった本もあるものだ。またサブタイトルがグッとくるよね。
 確かに金属加工を始めてからこの方、人類は錆と戦ってきた。小さいも大きいも身近なものから見えない所、どこにでも金属は存在します。
 最初は船の話から。
とある巨大船が腐食して、湾から動かすのも一苦労。解体するなら一切湾を汚染するなとか言われる話とか、はたまた申し送り無しに管理されてきた自由の女神がいつの間にかじわじわと浸食されていた話とか―。ワクワクするねぇ。
 他にも缶詰、車、パイプラインと。

 しかし基本、対処する人間の話を期待するんだけど、まぁ錆に負ける負ける。
さすが金属の癌。どんな障害もものともせず突き進む恐るべき存在です。
 また腐食にも条件があり、二種類以上の金属を触れ合わせないとか、水分大敵とか、電気の流れとか…科学的に八方塞りで、人類は未だリアルタイムで錆とは戦っているんだから、なかなか勝利の話は聞けません。
 だって例えば自由の女神なんて、内部に入る観光客の呼気の水分量だけで膨大なんだそうですよ。
それらが骨組みからじわじわと…恐ろしい。
 そして意外な事に水がダメなくせに、実際はそれ以上に酸素の方がダメと言う所。
酸素って、緩慢に物を燃やすと言うイメージだそうです。ははぁ成程なぁ。

 何かを作り出した後、『維持』する事にこんなにも問題があるだなんて、普通の消費者は思いも寄らない。
それこそ缶詰なんか、破裂、穴開き、腐食があればクレーム言いたい放題、でもあれの開発にどれだけの問題や知恵や技術が詰まっているかと知れば…―思わず『でも缶詰と言う技術が無かったらこんな便利な生活してないんだよな、有難う』と言いたくなります。
 パイプラインなんかも、トラブルなくて当然、所がそれを維持するのにどれだけの資金がかかるのか。
人間、作る事には金がかかっても当たり前と思うが、一度作ったもののメンテナンスに金がかかるのはなかなか理解が出来ないものです。そして予算をケチっておいて、トラブると『何作ってんだ!』とね。老朽しないものは無いという事です。

 この本を読めば、私たちの生活が如何な技術によって成り立っているのかと、その歴史や戦いっぷりに圧倒される事請け合いです。
塗装ひとつも、防食技術と聞くと感慨深かった。
 全ページ興味深く読めた一冊。
SFまで10万光年以上

 続きも読んでみた。
これ、本当に亡くなる一歩手前までの原稿なのねぇ…。最終頁ら辺は物悲しくなるわ。
 この巻にはお師匠様シリーズのカラーイラストも載ってるし、そのキャラらを使っての別コラムとかもたくさんあって嬉しい限り。
なんかいい感じに馴染む絵なんだよなぁ、この人は。特別スタイリッシュとか、好みとかでなく、落ち着くし嫌らしさがない。
 もう新たな作品を見る事は叶わないけど、読んでる間は楽しい気分にさせてくれる一冊です。
ホーダー 捨てられない・片付けられない病

 アメリカの捨てられない人たちにはこういう名前が付いてるんですね。ホーダーと言うそうで、立派な病気として研究対象にされている。
 色々と違うなぁと感じるのは、向うは精神的な事で病院にかかるのも抵抗がないし、自ら研究対象に…と手を上げて来る人がたくさんいる。
それで自分も治れば万々歳だし、研究者も研究対象に事欠かず、むしろ応募者が多すぎて驚くんだそうで。
 しかし何せスケールが日本とは違うので、溜め込む量は持てる空間に比例し、酷いのになると、家が一つ埋まると次の家を買い…と4軒5軒をゴミ屋敷にして住み替えていく人も居るようです。
…買えちゃうのね…。
 中の様子はハムスターの巣穴の様に例えられ、ヤギ道と言う移動経路は想像だに容易い。ここら辺は洋の東西を問わずだな。

 しかし研究だからか、割と自己分析の進んでいるホーダーの人も多く、治そうとする意思はあるみたい。
ところが治療方法に諾々とは従わず、自分の主張は全開の人も同じく多い。
捨てるどころか、買い物依存症の人も多いので、『今日は一日買い物をしない日』と言うのだけでも苦行となるそうで。
 彼ら彼女らの言い訳を聞いていると、本当に信じられない思考回路をしているのですが、言わせてみれば「何でもかんでも捨てる」こっち側がおかしいと言うのも、隔たりを考えると理解出来ます。
要はライン引きが全く違うのね。
 大事な物、必要なもののキャパや、ないと困ると言う不安。そりゃぁ要る物を捨てている様にも、要らない物を溜め込んでいる様にもお互いそう見えるわ。
研究対象の生き方を見ていると、どうしてもゴミ屋敷と言うのは結果であって、そこに至るまでの問題点が個々に違うと思われます。
 そうなるとこれは病気そのものと言うより単なる病気の結果と言える。
本来は強迫性観念とか、潔癖症、代替行為…と治療すべき別の要因は多いのでしょうね。(しかしコレクターもこれらの中に含まれると言うのが盲点でした。)
 恐らくは目の前に物理的に障害を築き上げる『ゴミの山』そのものが問題に見えるけど、それらは根本じゃない。だから「捨てられない…」と悩む前に何故捨てられないのかの原因を究明して目を向けなければ進展せず、それで皆「何故かわからないけどゴミは減らない」となりがちなのかと。

 割と日本で流行っている断捨離系は、対処療法寄りなんだろうなぁ…。恐らくは言葉の上滑りが多い印象。
本当に断捨離(ひとつひとつの漢字の意味から)を考えて根本療法としてやってる人は意外と少なそう。
 成功と失敗の分かれ目はここなのかもね。
 まぁ日本でいう所のゴミ屋敷と、ホーダーは若干違うらしいですが。