元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
天王寺にキリン
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 天王寺動物園にハルカスから、メスのキリンが贈られました。名前はハルカス、そのまんま。何故ハルカで止めなかったし?
551のゴーゴ君と言い、天王寺はスポンサー持ちの動物が多い気がする。しかし背が高いからハルカス、キリン。合ってるなぁ…。(笑)
勿論素早く見に行く私です。

 うん、まぁ毎度交代で運動場に出したり、室内展示場が開いてなかったり、マトモに見られなかったんだけどね。
(ここら辺は本当、天王寺動物園の情報公開能力に疑問を感じる。宣伝うってるんだったらその分HPにそこら辺書いておいてくれよと。何のためのネットなんだと。)
 もはや毎度なので慌てず騒がず寝室の方を覗き見。
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これはもう見られる位置とは言えないんだけどね、とりあえず遠方で目視。
生で見たと言う事にはカウントしよう。
 始終こっちを見つめてくる、人間に好奇心を持っている感じの子でしたよ。怯えているとか警戒しているとかの雰囲気はなかったな。
ただアミメキリンにしては随分模様が滲み気味に思えちゃうわ、この子。
 前回慣れを感じなかった幸弥君の方は、運動場で伸び伸びしていてストレスなさそうな落ち付き具合でちょっと良かった。例え近くで見れなくても安心するわ。
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 天王寺と言えば最高齢キリンカップルだったけど、すっかり若年カップルに様変わりですね。
新しいバージョンの絵葉書が欲しかったのだけど、売店の絵葉書の数がえらい少なくなってました。
キリンに限らずで、どうした事か。
まだ作ってないだけならいいんだけど、もう作るの止めちゃうんだろうか。
 グッズはともかくとして、個体が解るような商品展開はリスクが大きいから経費削減なのかな。写真くらいならローリスクだろうから作ってもらいたいんだけども…。
 今でも先代カップルの並んだ絵葉書はどこのキリンの写真よりもフォトジェニックで気に入ってるものです。(´・ω・‘)

 あと売店の多さと商品点数の多さが嬉しい天王寺動物園だったのに、コストか何かの都合?閉まっている所が多くて、あれは見た目寂しいわ…。折角の休日なのに。
微妙に違うラインナップの売店、結構見るの好きだったんだけどなぁ。(おせっかいながら扱うフード類も、こんなに種類少なかったっけ?)
 ああ、いかん。
今回は粗が目立つぞ。

 しかし軒並み動物たちは前回訪問時よりも断然元気に動いている所を見られました。
あと、初夏なのでいろんな動物の赤ちゃんが見れたのがやっぱり良かったな。
 まあ天王寺はアクセスの良さが強みなので、キリンに関しては、もっとここに馴染んでもらってからの姿をこれからも手軽に見に行ける。こんな日もあるわと言う事で。
キリンの模様について(チューリング・パターン)
 まず最初に。

キリンの模様は皮膚のひび割れではない。

感覚的にそりゃそうだろうと言う話。
 では次に私が感じたのは、

そもそもキリンの毛を剃ったら一体皮膚は何色なのよ?

シマウマは白地に黒縞なのか、黒地に白縞なのかって話を思い出しますね。昔これも調べたわ。

 ネットが言うには、キリンは肌色です。(画像なし)
うん、そんな感じだ。
―と思うだろう、本当は黒が正解。
動物園の人が言ってるんだから間違いないよ。(画像あるしな。)
ただ濃いベージュと言う人もいて、思うに多少はどの部分の肌を見るかで違うんじゃないだろうか。でも濃い色とは思われ。
ここまではすんなり。

 じゃあ気になる毛の色の分布です。
一色の一本なのか、はたまた二色の一本なのか。
あれだけ短毛で模様が広いと、一色一本なんだろうな。(これ、何故そう思うかと言うと、毛の長さに比べて模様の小さい動物は、一本の毛の色が途中で変化していて、それらが合わさった時、毛の流れに沿って模様が出来ているんだそうです。)
 はい、これも一色で正解。(同じく動物園画像。)思ったよりも毛が短いのも確認済み。

 さぁ、ここからですよ。
例の『チューリング・パターン』の話は。
言わば生物の模様がどのように決まるのか、いや、定義づけされているのか。
何のため、と言うと保護色とか、そういう理由が来るけど、それはwhyの問題ね。
how…かなぁ、このチューリングは。
どのように、その模様になるのか。
 面白い事にこれはシミュレーション出来るレベルで計算式が解っていて、ランダムで数値を変えると豹もキリンも、いろんな動物の模様が仕上がるのですと。
凄いな…科学。
 まぁ生物がそれをどうやって計算してるかは置いといて、仕組み的には、模様は波上に広がり決まって行くらしいです。
 かのチューリング学説が証明された魚は、成長に従い『縞々模様が増える』事によって、この観察がなされました。
例えば子供の個体と大人の個体で縞々の数がもし同じならば、幅が広がっていくだけで、模様が出来ていく過程は観察できなかったわけです。
キリンは生まれた時すでにあの模様が入った後なので、観察対象としては使えない動物だったのですね。(ってまぁほとんどの動物がそうなのですが。)

 ここからは大まか過ぎる流れです。
チューリングについての本は上手く見つけられず、紐解いていないのでざくっとですが、改めて模様とは何かと言うと、

色やパターンが切り替わるものの集合

毛の場合、同じ素材である

ではその同じ素材の中で、切り替わり場所で何が違うか

色素である

でもそれって色の違いはどう決まるの?

色素の密度である

と言う流れ。
密度って何。って、疎と密、つまり色素の中でこの色が優勢とか、劣勢とか、押しつ押されるがあるのね。
 カラー印刷なんかをどんどん細かく見ていくと、最終的に一色のドットになるでしょ。でも離れてみるといろんな色。あれと同じで、何色が多めだからこの色に見える、とか。
結局色はそう言う色素同士の密度の違いでその色に見えてるの。(何が基本の色素細胞かまでは調べていない。また違う話になりそうだ。)

 さて、じゃあその違いの決まり方です。
所詮細胞と言う事で、そこに細胞があろうとする限り、増殖するし、他の細胞を押しやるし、この色素細胞はどれかが優勢だと他は消えるんだってね。
 ただし細かく言うと話はそう単純でなく、お互いに助けようとする働きもある。
だから必ずしも片方の色素が勝って、皆一色になるというわけでなく、そうならない場合も出てきて、それが模様、となる。(一色の動物と模様のある動物って、色素で決まると言うわけか…な??)
 この模様を生み出しているのは、他を殺そうとする効果の距離と、他を補助する効果の距離との違いによって生まれます。さらにこの効果は伝播速度も違う。
(はい、いきなり難しくなった。)
図で見ると納得するんだけどね、とにかくこの矛盾しあった効果の距離(と速度)の違いが、色の違いを生み模様になるんですと。
 この距離(と速度)の観念と言うのがまたおもしろい。
試しに描いてみると、これは水面に広がる波の様な形になっていくらしいのです。
思い付いた人、天才過ぎるだろ。

 さて、色素の波の形は皮膚の断面に対してなので、その波形が短ければ皮膚の表側(裏側も?)にはドット模様の波の先っぽがたくさん見えるし、長ければ波系の中央が見えて、どんどん隣とくっついて線上(縞模様)に、さらにその線がくっつけば面(網目模様)になると言う事らしい。
(さらに一段階難しくなったな。)
 ちなみに縞の方向性を決める要素はないそうです。筋肉構造とかで決まるみたいよ。
 これの証明で、魚の縞をレーザーで消して見せたり、こうなるはずと言う模様が実際に出来たり、やっぱりこの説が天才過ぎて怖い。

 つまり、キリンはこの波系が長い。
色素が茶色と黄色でせめぎ合い。(ベージュ?ちょっと基礎色素が解らんのだけど。)
そこら辺が種としての遺伝なのかね?

 なお、豹の模様ってかなり難しいんだと言う事と、牛だけは肌の色も毛の色と同じと言う事がこれを調べている内に解りました。
何と言う副産雑学。楽しい。
 そして人間が改良した動物たちの模様の特殊性も一部知る事が出来ました。
その模様になる、と考えるのか、何かが壊されその模様になってしまった、と考えるのかでもしかしたら私たちが今認識している動物のデフォルトの色や模様は違うのかも、と言う視点です。
 最初に出て来たように、よく模様の引き合いに出されるシマウマ。
さて、シマウマと、馬と、形は似ているけど、模様としてはどっちが生物的に『普通』で『基本』?と聞かれた時―あなたならどちらと捉えるでしょう。
気になる人はチューリング・パターンを調べてみるとよい。

 これ、本当におもしろい学説です。今度これだけで調べるのもよさそうだけど、比較的新しい分野なので、本が見つからない。コンピューター理論の方はポロポロ出てくるのになぁ。
キリンの斑論争と寺田寅彦
キリンの斑論争と寺田寅彦 (岩波科学ライブラリー)キリンの斑論争と寺田寅彦 (岩波科学ライブラリー)
(2014/01/09)
松下 貢

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 こんな所で寺田寅彦の名が…。

 有名な『キリンの斑論争』と言うのがあるそうで、今まで知らなかったわけですが、まぁそれもそのはず、キリンの模様について云々ではなく、それにまつわる学者同士の論争の『仕方』があーだーこーだ問題になっていると言う事件、事柄の名称なのね。
 簡単に言うと『キリンの斑模様は田んぼのひび割れが出来るのと同じで細胞の成長過程で皮膚がひび割れて出来る』と言う物理学者が出てきて、生物学者から突き上げを食らい、所がこの物理学的な説が60年後にちょっと違う道筋で進化して出て来たんだけども、当時そっちで突き詰めていけば大発見だったんじゃないの?―的な。
 まぁ私が最初に思ったのは

やだ、結局キリンの斑模様についての学説が読めるわけじゃないのね??

ですが。

 今回はものがキリンだけに、この本からの情報だけじゃないのですが、ネット等も参照にした上で、主にこれを今語っている人たちの意見とはこんな感じのようです。
・自由な意見を反証も無く突き上げにした。
・彼が言ったのは狭義でなくもっと広義の意味においての説だ。生物学者は意味を取り違えている。
・反論は感情的だ。生物学者は視野が狭い。
・当時これを理路整然と導いてやれば、彼がある学説の発見者となったのでは。

 …いや、素人ながらに思ったんですが、この意見はどうかと…。
 まず最初に、模様って、皮膚の模様じゃなくて毛の模様でしょ?色素の問題じゃないの?
ちょっと調べればキリンの親子の模様が似ている事も解るんだけど、細胞の割れ方が親子で一緒っておかしいでしょ。同じ成長過程は踏まないんだから。遺伝なんかはどうなってんの?
 そもそも『自由な意見』って、彼の意見こそなんの実験もないただの『推測』で、反論にだけ何故『証拠』を求めるのか。これについては寺田こそ、『ないと言いきれないのではないか』なんて、論議の意味を台無しにするような一文を入れ混んできている。
これではまるで弟子をかばっているようにしか聞こえない…。(最初のひび割れ説は彼の弟子が言い出した。)寺田はネームバリュー故ここに大きく名前が出てくるけど、本来ならその弟子が、寺田に相談しても良いけど、自分の名前でだけ最後まで戦うべき論争だったんじゃなかろうか?
 突き上げだ、生物学者たちは感情的だ、なんて言うけど、そもそも(発端となった学説を書いた人は物理学者)、自分で『生物学者たちに示教願う』って書いてんだよ?
で、いざ『おかしな事言うな』ってきつく言われたら自分も感情的に返してるわけだし。お互いさまでしょ、これ。
 それに『もっと広義だ、毛の模様の根拠が色素だとして、色素がどうして決まるかの根拠が、ひび割れじゃないのか?』とか言いだしますけど、後出しジャンケンにしか聞こえません。
生物学者たちが最初に『いや、模様は色素だよ』って反論して、何がおかしいと言うんだろう。
最初に一文たりともその辺りを書かずに、強気な反論だな…。
生物学者側の最初の反論者は、毛の模様はこうなってるんですよと実際の図解まで示してるんですけどね、反証が無いとか…。
(そもそも毛の色は一本で一色でなかった。途中で色が変わっていて結果があの模様らしい。)

 確かに寺田は科学と言うか自然現象を狭義で見ない人だと思う。
しかしその弟子の発端となったあの説は、可能性とか言う話だけで、『叩かれなくても良かった』にイコールに繋がるだろうか。
 実際にこの説は学界から総突っ込みを受けたとの事で、しかしこの本には、『他の学者たちの反論』は載っていません。最初の一人分だけ。あとは発端者と寺田の反論ばかり。
うーん…なんでまた??
なんだか印象操作に思えます。
 中でぽろっと、『生物学者の方が文章が感情的で分が悪いように思える』的な事書いてますけど、私は別段そうは思わなかった。
それとも他の反論はもっとひどかったの?(そうだとしたらそれこそ後出しジャンケンだけど。)

 寺田を研究している本なら、彼の科学に対する博物的な姿勢とか、そういう点でこのエピソードは非常に面白いものと思う。
しかしこの論争のポイントはそこじゃない。
 現代においてこの論争では、当時の生物学者たちに落ち度があると言う意見がやたら目に付くんだけど、もし以下の事実が無ければそこまで言われていた気もしない。
それは、60年も経ってから、『パターン生成』の基本となる『チューリング・パターン』というものが、ヨーロッパ人の手によって発見されたという点。
 もし当時の学会が感情的にならず彼の説を建設的に扱っていたならば、この発見を、60年も前に日本人である彼がしていたかもしれない―。

というifも大概過ぎる話ですよ。
(この本も、科学にifは禁物だが、と書いている。)

 実際、マスクメロンの模様は彼の説で説明出来るものだそうです。(だがキリンの模様は違うのは既に明らか。)
生物学者が、鼻で笑わず『キリンの模様は違うけど、マスクメロンはそうだよ』と教えてあげればよかったのに。―って、なんでそこまで面倒みなきゃいけないんだろうね?何故当時の生物学者や、学会の体制がこれほどまでにおかしく言われなきゃならないのかわからん。
 私がこの件について生物学者擁護の説を拾って来れなかっただけ?それともその流れも含めての教訓かなんかなの?
大体、日本人が、とか変に名誉欲めいた単語が入ってくる時点で科学的視野とは言い難い…。

 寺田が物事を大きく見ていた。物理学と言う広い目だ。先見の明だ。学会は閉鎖的だ。
―とか新しい発見がされた今だから書ける話、だと思う。(この論争、大体寺田の褒め話に結論が行くんだよね…。もしこの人が寺田の弟子じゃなかったら、擁護派、ここまでいたのかなって気になっちゃうからそれも目が曇る一因だわ。)
 そもそも学者は、自分の専門をマクロなのかミクロなのかでいろいろな視点におくからこそ、あらゆる分野は発展してきたのでしょう。
広いから良いのか?狭いとダメなのか?どっちも必要。
 そして同じ視点を持つ者同士で話し合っても、思いがけない進歩ってやつは期待出来ない気がする。
 この論争、結果だけ見て『立ち消えになった』『アイデアが潰された』とか言われるけど、じゃあ潰されなかったとして。そのアイデアを練り込み、膨らませ、今日に認められる立派な学説に出来たかどうかは、初手から実験のじもなく発せられたあの説からは想像がつかないのが素直な感想。
 まぁぶっちゃけ『キリンの斑論争』、端的に述べるとアカデミックなブログ炎上と言った所でしょうか。
まさかこの話、学説の中身うんぬんより、当時のやり合いや周囲の反応が、こんなにも別の話として面白く読めるとは思いませんでした。

 そして結局、キリンの模様は如何にして出来たのかと言う疑問を宙ぶらりんで放置された私は、自らキリンの模様について調べる事にしたのであります。
次回、キリンの模様について語る。
義足のキリンたいようの一生
義足のキリン たいようの一生―彼を支えた人々の日記 (講談社のノンフィクション)義足のキリン たいようの一生―彼を支えた人々の日記 (講談社のノンフィクション)
(2003/12)
小鷲 順造

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 一方こちらは新聞社の記者の視点を主に書かれた本。編集自体が新聞社で、どういう編集なのかよくわからない。つまりこの本の中の文章は記者がそのまま書いているのか、編集サイドで記者の事を含めて書いているのか??
 字も大きく、充分児童書の範囲と思われるこの本だけど、前回の児童書(小学生視点主)と違って、キリン物語と言うか、記者物語としての本に見えました。
うーん、なんだろう、どちらの本も同じキリンの事を語っているのに、向こうはキリンの生きようとする頑張っている姿を三人称で、こちらは記者の日記を一人称で、なのでこっちの本は単なる『記者もの(でたまたまキリンを扱っている)』に見えちゃうのよね。
 『他新聞社に抜かれた』とか『動物園側に嘘を教えられた』とか読む度に萎える。(マスコミによる報道で、世間から注目を浴びるのも良し悪しで、環境確保のために情報を流したくない動物園側の事情もあるわけだ。有名になったお陰で応援はしてもらえるけど、そっと見守って居て欲しいと言う部分とか、デリケート。)
後半になるにつれ、記者色が強くなるばかりで…。
 しかしこちらの物は写真入りで情報は詳細。ただ、お話としては何かしらごちゃごちゃと感じられ、頭に入ってこない。記者を追うのか、キリンを追うのか、どっちつかずになってしまう。
読物ではなく、記録ものとして読む方がいいのかな。
ライターと小説家は、違うもんなんだなと改めて思ったよ。

 ちなみにカテゴリ的にはこの本、ドキュメントになるらしい。ノンフィクションとまた違った響きだよね、ドキュメントって。
義足のキリンたいよう
義足のキリンたいよう―いのちの物語義足のキリンたいよう―いのちの物語
(2002/09)
島田 和子、宮崎 耕平 他

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 続いてのキリン本。
話には聞いていた、義足のキリンのお話です。
子供のキリンとは聞いていたけど、その意味は―ああ、大人になれなかったのか。
 てっきり子供の頃に義足になって、それで大きくなって有名になったのかと。(考えてみれば今の動物園の中でそういうキリンが居るとも聞いた事なかったわ。)

 最初からそういう最後を知って読むわけだけど、このたいようについて書かれた本は他にもあって、まずはこの子供向けのものから読む事にしました。
実話を元にしたフィクションなのか、本当に登場人物の全てが実在で、取材して作っているのか解りません。
 そもそも写真があるかと思いきや、イラストで、児童書みたいな仕上がりでしたから。
 勿論たいようの事は全部本当で、生まれた時から、気出した時、義足になる過程、その後の流れもしっかり書かれています。
ううん…走ってナンボの野生動物は、足のケガ=死に直結だよね。
やるせない…。
 こちらの本は、名付け親となった小学生の子供たちが、たいようから命や、生きる事のなんたるかを学んだ形で締められています。