元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
釜ケ崎から

 ほんの数年前に暴動があった。
それは報道にもほぼやり過ごされた形のもので―と言うドキュメンタリー形式の一冊。
 しかしそれで拘束されたり、怪我したりした人の中に、高校生(女子まで)含んでいるって、一体どういう事だ?
意外と支援団体などに年若い子まで混じってそんな行動力発揮してるんだろうか。
 イメージが追い付かないのですが、実際あそこで路上生活している方々って、例えばそれをうっとおしく感じたりするタイプの人は多いのか少ないのかとか、どうなんだろう?こういう支援が双方向で繋がっているのか、知りたい所。(こう言う声って、報道時の選択により、いくらでも印象操作されるしね。)

 さて、さすがに著者さんが実際に20年間と携わってきた支援活動。内容がヒリヒリする程に間近で、痛い。
路上生活者への偏見、批判、対して住人たちの不安、どちらの権利も感情もあるから難しい、これに尽きる。
 しかし時に起こる、浮浪者狩りだとか、業者が絡む福祉詐欺だとか、在ってはならないのは当然だ。
 実際に釜ヶ崎(あいりん)は府内で犯罪が最も多いかと言うと実はそうではないと言う話は身につまされる所です。
まぁ犯罪の種類だとか、狙われる対象だとか、突き詰めていけばどうとでも言える問題かもしれないけど、この本の中で彼らの側に立った時、むしろ犯罪に怯えるのは路上生活者の方だ。
 好きで転がり落ちた人生ではない上、再び元の生活に戻る事は難しく、過酷な労働と生活をしてもなけなしのお金しか稼げない。病気になれば即食い上げ、高齢化も進んできました。
何より野宿と言う事自体が危険と隣り合わせで―。
 女性の路上生活者も一定数居るという事で、想像しただけで絶望を感じます…。
 そして簡単にシェルターがあればいいかと言えばそうではなく、実に色んな問題が絡んでくるのですが、この本でその詳細を読むに付け、言うは易し行うは難しの現実を見せつけられます。
大阪の都構想もこの街に絡んでいると思わなかった。

 職を得る事自体が椅子取りゲームで、転がり落ちるのに自己責任と言う言葉が付いて回る苦しさ。
この街のすべてを安全で綺麗な街にした時、では路上生活者たちはどこへ行くのか?
段ボールハウスを壊す事が彼らと言う立場の人間の存在を消すわけではありません。
 排除するのではなく、支援する。そうでなくばこの問題はあり続けるのです。
その形がいつか社会の輪にカチリとはまるまで、手探りで考えて行かねばならない問題です。
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