元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
騙される人騙されない人

 言い切る言い切る。
頼りになるなぁと言うくらい強気で『オカルトなんかねーよ』と言ってくれる本。
 うん、本当そうだと思うんだけど、心理的とか、本能の中で「分からないものが怖い」をここまで克服しちゃえる著者のハートが凄いわ。

 解ってるんですよ。
現象とは分析出来るものであり、科学の分析力次第で把握出来ない取りこぼれがオカルトとして残っていく、その過程。
 でもその科学的分析が合っているか間違っているか(アプローチの仕方と解釈の仕方の点で。科学で解き明かすと言う姿勢は前提の上)は別として、解っていても動物の中にある本能部分がそれを額面通りに受け入れられない。
 闇は怖く、捕食される事を防ぐならば敵が何であるか知らねばならず、特に知能で生きてきた人間ならば寄り得体の知れないものに恐怖を感じるものでないでしょうか。
 これが敵が『何であれ俺、強いし。食物連鎖の頂点だし。と言う何か強靭な生物』だとか『こうすればこうなると言う予測を出来ない程度の知能の生物』なら、正体の知らないものによしんば警戒はしても恐怖はほとんど感じないんじゃないかと思います。
つまり強いものが怖い。何をしてくるかわからないものが怖い。認識出来ないものが怖い。『知らない事が怖い』。
 世界の知る、は科学あるいは宗教、オカルトで整理を付けられています。
これらはオカルトだけでなく、科学すら含めて人間の行動原理の整理、把握の『術』でしかない。(まぁ科学で精神的問題は測れないから全ジャンルではないけどね。)
世界の判断基準をどこに置くかの違いです。
 科学は存在を確認出来ないものなど信じず(予測はすれども)、宗教は神に委ね、オカルトは解らないものは解らないので、とりあえず名付けて安心する行為かと。
(名付けて安心と言うのは、古くからありますね。悪魔の名前を知ると支配出来るとか、また逆に自分の本当の名前を隠す、新しい名前を得る等。
名前は人との共通認識のためのもので、『認識』と言う知る(または知ったような気になる)ための手段なわけです。)
 では、科学に立った時。その『知る』が多ければ多いほど、恐怖心が無くなると言う寸法です。
ラップ現象→家鳴りです。
超能力→手品です。
解明出来なければもしかしてと言う気持ちに揺らぐのは、自分の知識不足であって、例えば中世に生き、ある日いきなり地球は丸いよと言われれば恐怖に恐れおののくと思います。
 ここで著者はそのほとんどを科学的に処理し、稀に判明出来ないものは推察、いや、こういう実験すれば解るはずだしと、恐怖を抱かないのです。
ここが迷いない科学の先鋒者だなぁと。

 最初から最後まで心強い太刀筋の本です。
いやしかし、世の中にはいろいろな事を信じてる人もいて、それもまた別の意味で疑いがないって凄いなぁと思えた…。
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