元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
聖なる国、日本

 外から見た日本。
たまにこういう文化的他己分析ものって知りたくなる。

 しかしながら…何と言うか、違うんだ。
 著者の言う日本のスピリチュアル的に凄いと言う所、正直日本人の目から見て、それは極自然であり、意識せずにいるからこそ多分価値のあるもので、自覚して伸ばそうよ、なんてしたが最後、違うものに行き付く気がする。
 その感じ方自体が日本人と外国の方の違いなんだろうか、とさてこれは人種差別か?区別か?という気になる。不思議に居心地の悪い読感。

 著者はある意味解りやすく、十代でインドを目指し居付いたと言う豪のお方。
しかしスピリチュアルを語る人は何故インドに惹かれ目指すのか?そしてその次がいろいろ流れて日本、と言う感覚も掴めない。
 彼らにとってアジア、東洋の神秘と言うくくりなのだろうか?日本人の目から見てヨガと禅はセットでどうぞというものではない。カテゴリー的には同じだけどそれ故に目指す先もアプローチも全く違うと言う感覚。無論中身が違う事は著者は西洋文化圏で育ちながらよく掴み体感しているので一緒くたにしていると言う意味ではない。なんせ東洋医学すら習得してしまった人だし。ある意味では東洋人以上に東洋を極めている。
 ただ、ではなぜ著者は西洋的な神秘に惹かれなかったのか?
それはないものねだりや隣の芝、自らの文化の良い点を見つけられなかったのとどうちがうのか?
 著者はしきりに最近の若い日本人は西洋文化をカッコいいと真似ているが、あんなものは意味がない。日本のスピリチュアル文化こそ尊べと言う。
それは…ある意味ブーメランにならないんだろうか。
 本のテーマがテーマなので、外に出てから自国の良い部分も知れたと書いてはいるのだけど、この人はお国や近しい西洋のスピリチュアルに傾倒する事なく東洋寄りに惹かれてきたわけだし。

 日本人が宗教的なものに捕らわれない、或いは何でも受け入れるのは、それが自然に在るがままに接しているからで、無意識の宗教と呼ばれるものだと思う。
逆に西洋は意識の上で宗教を捉えているように見える。
(信仰するものは東西個人で違うから一が全ではないけれど、傾向としてね。)
 宗教=スピリチュアルではないんだけど、著者がこの本で日本のスピリチュアルを指摘すればする程、皮肉な事にそれは無意識ではなくなり、読書する私に違和感を植え付けるわけです。
 全編がそうではないんだけど、例えるなら『あなたの呼吸法は素晴らしい!理解してるのか?何故もっと大切にしない?』と言われた瞬間、「え、呼吸ってどうやってしてたっけ」と瞬時無意識の呼吸に戻せなくなる―これだわ。
 一から台無しにするような言い草だけど、この点ほど外から言われてもやっとするものはなかったかも。
同じ事を日本人の研究家とかがやる分には、自己を掘り下げているかのように思えるのだけど、外国人から見た前提だと、なんかね。
 彼ら自体は確かに外の目を持っているから、良い意味でも悪い意味でもどうしたってお客さん目線になる。(著者は日本での生活も長い。けどエピソードの一つ、「僕は育児の協力をする人間だ。週に一回おしめを替えるなどして妻の負担を減らしていた」とあって、え…となったよ。日本と外国、育児に関しての捉え方ってこんな具合なわけ?))
 別に肩ひじ張らなくていいし、主義主張を声高に言わなくていい。たとえそれが穏やかな口調であれ、そもそも口に出す気にならない、端から忘れながらに兼ね備えていられる―それが真にあるべき日本的なスピリチュアルなんじゃないだろうか。

 褒められて照れる、と言う書評が多い本だったのだけど、褒められているだとか日本のスピリチュアルについてと言うより強く、洋の東西を違いを感じた読書でした。
 ああ、でも後半に行くにつれ「日本がんばってよ!」と言う好意的な感情は強く感じられていくので、その点では嫌な本ではないです。
 日本の良い部分と、それが故にダメな部分も書いてくれていて、怒るべき時に怒れない弱点とか、明確に指摘するのもおもねっていなくてよいし。

 異国ファンタジー気味の所もあるけれど、それを論と取らずに一外国人の日本との付き合い方と言う作品として読むとおもしろいかな。
 なお中で有名どころ、『菊と刀』の触りが載ってましたが、罪の文化と恥の文化はいつ聞いても短いセンテンスで十二分に自論を説明出来る素晴らしい言い表し方だなと思えます。こっちを一度読んでみようかなと言う気になりました。
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