元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
エンデ全集 3  MOMO
エンデ全集〈3〉モモエンデ全集〈3〉モモ
(2001/08/18)
ミヒャエル エンデ

商品詳細を見る

 超有名どころ、MOMOを未読と言うこの私。
いや、気にはしていたんですよ。
趣味を読書、その流れでファンタジーと言う単語が出てくると、高い確率で「MOMOは読んだ?」と聞かれることの多い作品です。
 …何だろう?一般的に、一定の良識と知名度と、外国産と言うちょっとだけプレミアムな本として名を挙げられるものの代表なのか?
普段は読書をしないけど、これだけは読んだと言う人がこの作品名を挙げる事が多くてね…。
(同じファンタジーを挙げるにしろ、ハリーポッターじゃ当り前すぎるとか、有名過ぎてアンチかもとか、そういう回避とも考えられるが。)
 私ならナルニアとか、指輪物語とか、アーサー王とかが先に出るかな。ハイファンタジーの、そのどれも未読の私が相手に振る事は無いが。

 さて、まず前書き。(と言うか、全集なんで解説?)
エンデって、実は『エンド』、『終わり』って意味の名前なんですってね。そう聞くと、同作者の『はてしない物語』とか意味深だわぁ…。あれなんか『幼心の姫君』とか秀逸な訳だと思ったものですが、姫って、映画化する時に日本の少女をイメージしてたみたいですね。
 更にエンデは日本語で、自分の名前を『冬の糸』とした事もあったそうで、言葉遊びにこだわった話がおもしろそうだった。
(しかし『はてしない物語』、主人公が実はデブの冴えない少年で、ファンタジー世界の中では美少年って設定って、意外と痛いんだな…。)
 あと『ジム・ボタン』も単語だけ聞いた事あるけど、エンデのだったんだ~。(しかし日本のアニメは全然別物の様子でしたが…。)
 話が始まる前から、この前書きがなかなかにおもしろくてちゃんと読みたかったんだけど、全集なので残念ながら前書きは他の巻に続いていた。ちぇっ。

 とりあえずMOMOのあらすじは簡単明瞭。
時間泥棒との追いかけっこですね。
確かに素敵なテーマ。
これをまた少女がするというのがたまらん。
 読む前は、モモ自身魔法の様な存在かと思っていたんですが、至って普通の浮浪児、ただただ純粋で大事な事を素で出来る子ってのが、逆に魔法のような存在に助けられつつ大冒険、と言うものなのね。
追いかけっこと言うのも実際はお遊びゲーム的なものでなく、普通に追走劇なのか。
…うん、全身灰色のスーツ姿の大量の男共に追いかけられたら、怖い。
 ふとした日常が、いつの間にか時間に追われて心がギスギスしていくのは、時間が盗まれているから―。
そうしたワンテーマで深く掘り下げていくので、心に突き刺さるような話の流れが痛くもある。
児童文学だけど、こういうテーマって、大人が読んでこそって話なんだよなぁ。
きっと、子供の立場と大人の立場で読む時に感じる事がまた違うのだろうと思う。
あるいは、最近の『忙しい子供』も大人と同じ様に感じるかと思うとちょっとうすら寒くもあるが。
 そしてまたこの話、いろいろと状況説明が難しい。
時間が何故かいつの間にかなくなっている事は現代社会への比喩にもなっているから、心のゆとりが無くなった事に対する明確な原因とか、説明などそうピンポイントに出来るもんでもない。
だから故、物語の中でそれに気付いている一部のキャラ達の言葉はどれも重く、またマスターホラが言う、「それを誰かに言葉で説明するには難しく、お前の中で言葉が熟さないといけない」と言う台詞が効くのだねぇ…。
 言葉が熟す。そんなもの、単に時間を重ねて大人になっただけでは熟さないんだよ。
 また、それをちゃんと感じ取ってるモモも、それを言葉にするのではなく、歌や『黙って人の話を聞く事』などで表現していると言うのが素晴らしかった。
 そして話は前後するが、灰色の男たちの時間銀行。
私はこれが詐欺だなんて思えてなくて、後で貯めた時間を使えるならそれでいいじゃないか、と思っていた。
そしたら普通に詐欺で、時間は盗まれているだけとか、えらい狐につままれたみたいに感じたなぁ。
 てっきり灰色の男たちは、真実の信条の元、何かを行うんだけど、それが結果的に世の中をおかしくちゃっているという様な、立場の違う正義同士の話かと思っていた。
生活を便利にさせる、効率化する事へ情熱を傾ける人々も、世界を良くしたいがための行動だと言う正論がどこかにあると思っていた。
 なのに最初から詐偽、泥棒とか…。つまり彼らは何一つ良い事がないと解っていてやっている単なる悪党なわけで、これにて彼らの主張の全てが悪となる。
…うーん、生活が効率的になる事自体の全てが悪い事の様に捉えられていて、そこだけが薄くて残念な対立構造。
 また、その効率化が与える子供たちへの高級なおもちゃでは、本当の遊びが出来ない、と言うのも、子供を神聖化しているようで、本当は見くびっている様にも感じた。
 遊びの中で創造性が大事と言うのは解るけど、想像の余地が少ない物でも子供はまだまだ遊べるもんだと思う。
与えられた範囲内だけでやるゲームですら、少なくとも同じゲームをする子供たちと共通認識を得たり、本を読んで感情移入するのと同じ気持ちになったり、芽生えるものがないわけでもないと思うし…。
書いていない部分が想像の余地を育むのは解るけど、文字>絵>アニメ、ゲームとか順位を付ける事に意味はないと思うし。そもそも作品によって情報量の差があるし、二次想像と言うのだってあるしな…。
 勿論ここら辺まで書き出せとなるとまた作品のテーマが違うようになるわけで、この作品が生まれた時代を考えると、エンデの危惧する事象や、モモたちが失わないモノはまさしく大切なものを忘れないための警告にもなっていると思う。同時に時代が幾ら移ろうが、心のど真ん中に置いておきたい純粋で、ハートフルなストーリーだと言う事は間違いない。
童話の基本中の基本。いくら大人も読める童話とあっても、私はやっぱりこう言う『綺麗事』がメインになっている物語が頼もしくて好きだ。
 そして、出てくる大人たちの中、モモと友人であるベッポとジジの、それぞれの行動の違いも味があった。
単純に大人が忘れて、子供だけが気付いているとか、大人は敵で、子供が立ち向かうとか、単純構図になってない展開で―。
 悪い大人も居るし、良い大人も居た。希望を持ち続ける子供も居たし、流される子供も居た。
こんな風に考え所のある物語だから、名作と言われるのだろうな。
 映像で見たい気にさせてくれる物語でもありました。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック