元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
下ヨシ子の死後の世界
下ヨシ子の死後の世界 (図解雑学)下ヨシ子の死後の世界 (図解雑学)
(2008/02/21)
下 ヨシ子

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 えーと、全然この人の事知らないで手にしたんですが、驚く程にオカルト本だったよ…。一見宗教本と言うか、よくある『死んだら仏様の世界だよ~』とか『地獄はこんなだよ~』とか、お寺の土産で置いている絵本のような、あれの大人版、あるいはおちゃらけでフリーライターが書いてる様なおもしろ本のどっちかかと。(どちらもハズレです。)
なんでこれで図解雑学なの??

 今回は特に独断と偏見に満ちた感想に溢れています。物が宗教だけに、その手の問題に寛容な方だけ続きをどうぞ。
 …一応仏教基本なのかしら、しかしカルトだわぁ…。
初っ端からカラー絵で、三途の川は存在する!から始まって、「あれ、水曜スペシャルのノリ?」と怪訝に。
そして善行を積んだ人には川は浅く、そうでない人には激流、とか。
 …すげぇ詳しいな、何、この言い切った『死後の世界』観は…。と自分が求めていたのとかなり違う本を手にした事を瞬間察する。
 とりあえず仏教の地獄観だってまぁ基本『見て来たのかよ』の世界なんだし…と思い読み進めて行くと、霊視で見たと書いてあって、凄いわ、本当にカルトな本だったわ。(思わず奥付を見る。どこの宗教団体だ、これ?阿闍梨とってるの?マジで?)

 一見謙虚な言葉を書いてあるんだけど、諸所とんでもない事が書いてある本です。
事故死は寿命だが、自殺はダメ。これはいい。何と言うか自殺の抑止力になる言葉だし。
が、自殺はほとんどが、未成仏霊に取り憑かれて死に招かれたもの。未成仏霊とは地獄へすら辿り着けぬレベルの低い魂。
また、霊は同じレベルの魂にしか影響出来ない。
 ―この解釈、つなげれば自殺した人はレベルの低い魂ですよ、だから仲間に呼ばれるんですよ、って事かい???なんか…自殺した人全否定だな、これ…。
 そもそも霊を見たとか、霊感が強いってこと自体、未成仏霊にちょっかい掛けられてる人ばかり、とかも言ってる。いろんな所に敵を作りそうな発言だな…。
守護霊も、本人が勘違いしていて、本当はほとんど居ないとか。
(さて自分の霊視は本物だそうです。仏様とも話しちゃってるっぽいです。日本一の霊能者らしいです。)
 あと、生まれ変わりは哺乳類のみ。その根拠はなんなの…?
人は人、犬は犬で生まれ変わるから、あの世で動物の霊を見た事が無い、との事。よくわからんが、最初から生まれを区切るなら、そこに魂の平等性はないのか?犬には犬の目指す尊い修行があるんだろうか。人が仏を目指すように。
 そして戒名の事も書いてありました。
高ければ良いと言うもんじゃないけど(ここまではいい)、死後、戒名で呼ばれるので、普通の人間の時の名前だと、恥ずかしい思いをする。感覚的に『ポチ、タマ』と呼ばれてるのと一緒。子孫として祖先にそんな恥をかかせるな。との事。
…えぇぇぇ…。(ぽかーん)
 あと一番ひどいなぁと思ったのは、醜く生まれ付いた人は前世で誰かの醜さを笑ったから。自業自得と書いてあった事。
すごいな、おい。何と言うトンデモ発言。じゃあ今醜い人は心も醜いって論法になるよね?イジメとか助長しそうな発言…。

 そもそも人は上の階層を目指して転生して修行するという仏教のイメージは解るんだけど、人は人にしか生まれ変わらない→スピードの差はあれ、皆どんどん上に行く→たまに落ちる人もいるだろうけど総じて転生の数も減っていくはず→地球の人口増える一方なのは何故??
地獄から人間界に上がって来てるんですかね?
 そして上の階層に皆行きついちゃうんじゃないかと言う疑問には『上層階は定員制』とか言う説明が付いてましたよ。
すごいね、そんな了見の狭さ、意味が解らんわ。
悟り方に何故上限人数が要るのか。そしてそれなら先着順なのか。下の階層を解脱出来る人がいても受け入れないって事でしょう?
こういうのこそ、よっぽど人間の視点で見てる気がする。

 そして読めば読むほどもはや裏を読まざるえなくなってくるのが、お布施のくだり。
『心が大事。気持ちの問題。そう言って自分の金や時間を惜しむ人はなってない』とか、人の心理を突いた鋭いジャブ撃ってくるんだけど、結局その先の狙いが見え透いているようでちょっと…。『自分の出来る最大限』って、もらう側が決して望むべきものじゃないよね。『ほんの少しでもその気持ちが有難い事』って托鉢僧みたいな考えが本来じゃないの?宗教側の人が書くとダメだろ、これ。

 ―なんかキリが無いのでこの辺でやめておこう。
この本、読みながら激しく後悔して行く本でした。ダウナー系だ。宗教本ってダウナーって。
 なんていうの、宗教系を読むのって、神様を信じる信じないどうのじゃなくて、世の中の道徳的に良い部分を反芻したくて読むわけですよ。
少なくとも私はそう。
 どんな宗教にも自分の哲学に沿う素敵な教えがあるはずで、それによって心を豊かにする事が、良い意味で宗教を利用、糧に出来るものじゃないかと。
 宗教は振り回されちゃ本末転倒、逆に自分の精神をコントロールしてバランスを保てるようにする人間が考え出した『ツール』だと思うのね。神様が居ると信じなきゃバランス保てない人はそれでいいし、居ないから全部自分で完結させるのもそれでいいし。
鰯の頭ですよ。一人の心にそれぞれの神様ですよ。
 ―なのにどうして私は今こんな本を手に取っているんだと。苛立ちまで感じながら。
これは時間と精神を著しく摩耗させる、本来求める物とは真逆の行為にも等しい。
まぁ理解度は別として、最後まで読み終えてから判定しないとフェアじゃないからなぁと読了してしまったわけですが。
ちょっとお腹いっぱい。
 こうして考えると世界の大きな宗教は、広がるだけの教義があって受け入れられてるんだなぁ。大きい宗教すら、たくさんの問題を抱えてると言うのに…。なんて思った今日この頃でした。
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