元モンスター描き。 諸々の感想と近況ブログです。   since2005.05.15
神道はなぜ教えがないのか

 海外本見る前に繋がりもなく偶然一緒に手にしていた一冊。海外の宗教教育本じゃないけど、まずは自国から…って所かな。
私的には仏教もあれだけど、神道も日本人の源の様な何かがあるよね。
 ―のだけど、このタイトルの様に、確かに神道って、教えと言う教えはない、この問いに答えられなくて。
 お天道様が見ている、万物に霊は宿るので敬うべし。こういう感覚だけの『大体そんな感じ』宗教だよなぁ…。さらには他の神様もお客様なので丁寧に扱おうね、とか。どこにも書いてないし言ってないけど、共通感覚的にこんな感じ。
 なんかもうそれって躾の延長であって、悪い事したら鬼が来るよとか、せいぜいこの手の話。もう他の宗教と同じレベルのスローガンとか看板が思いつかない。
 そう言うぼんやりふんわり、懐の広い所が好きなのですが、この本でさて答えはどう出るのか。

 本の中では神道は宗教にあらずと言う歴史にも触れていましたが、それを聞くとちょっと納得したり。(最終的には宗教と言うカテゴリーできちんと語られているのだけど。)
漢字的にも『道』って書くし、これが結論でも違和感ないわ。生き方の指針と言うか。
 それにしてもいざこの本ではっきり書かれていてそう言えば…となったのが、神道の『ないない』加減。
教え、経典どころか、始祖もなければ救いもないと言う。偶像も、原始的には神殿もなかった。(今も本体は後ろの山だったり、滝だったりとかするしね。)
 うーん、確かに。これは特異過ぎる宗教だわ。
どの宗教もこうすれば死後天国に行けますよとか、救いが売りで、そのためにタブーの経典がある。破ってはいけない神との約束。
神道はそもそも死は穢れだし、生まれ変わりも語らないしなぁ。
 あの世だって、明確に別れた世界でなく、この世と地続きです。
とにかく線は引かない。
 考えてみれば神道を信じてたとして、利益なんてどこにも約束されてないんだよね。
 神へのタブーも、神がやるなと言ったものはなく、単に人間側が神様に失礼のない様に…と敬いの形や身を清める形を好んだまでで。
 仕草一つにもそれが表れていて、多くの宗教は天にまします神に祈る時、天を仰いで祈るけど、日本人はそれをしない、と。
神様は一人一人の心の中にあると言うのがすんなり来る。
 神社にお祈りするのも、許しを乞おうとか、大それた祈りよりも、身近な、基本自分の力でやるのを手伝ってくれと言う感覚に近い。
確かに決意表明の部分があるよなぁ、神社へのお祈りや挨拶って。
(他の宗教でも宝くじが当たります様にとか、ダイエット成功します様にとか、そんな事願うんだろうか?なんかこんなの教会でやったりとか、違和感と言うか罰当たり感が漂うんだけど。反対に寺とかではありそうだし、戒律に厳しい所ほど、頼む方も度合いが違いそう…。因みに私は寺ですら願い事ってイメージはない。)
 そもそも強大なものや畏怖の対象は、祭り神も祟り神も、或いは表裏一体で神様括りだし、あと八百万の名は伊達ではなく、実際に神道の神は増殖します。
分霊とか、神社で神様を借りて帰るやつね。
一神教の宗教には決してない考え方だそうで。

 さて、まぁぶっちゃけ、宗教なんてものは政治的利用は勿論の事、集団になったらどうしても野心が絡んでくる手前、何かを都合よく収めるための方便を混じり込ませていると思うのですが、一神教の多宗教排除の姿勢然り、神道の方も宗教と意識するまでもなく人々の身に沁み込んでいると言う意味では超強力な洗脳状態とも考えられるのかも。
 本当は日本人は無宗教、無神論者が多いんではなく、自覚がない宗教支持者だらけと言う意見もたまに聞きますし。
神道の狭義がない辺りが余計にここら辺を解りにくくさせているのか。
 この本の中で書かれていた、『ない』宗教であるが故に、他の『ある』宗教とぶつかる部分がないから、日本人はどんな宗教でも受け入れてこれた、と言うのは面白かった。
 そしてよくこんな救いと言う上がりのない宗教がここまでしっかりと生き残ったのも、実はタブーがないから、『破壊』されると言う認識すらなく(言い様によっては壊れる事の有り得ない)神との約束が守られ続けたが故、と言うのも言いえて妙だなぁ、と。
 あー、この線から出ちゃダメよ、その時は神は見放すよ、と言われてれば出る可能性はあり得るが、線が無きゃ約束の破りようもないもんなぁ…。

 解ったような、やっぱり知れば知る程不思議で枠組みがない事が解っただけの様な、本がどうのじゃない、神道が謎だと言う一冊。
面白かった。