無料オンラインゲームの公認イラストレーターとしてネットに入り浸る日々。 イラスト・書物・ネットは生活の一部です。コメント歓迎。 リンクフリーのブログです。( ̄ー ̄) since2005.05.15
ニート、ニートというけれど
 というわけで、自分の事を振り返ってみると、私は18そこらで、ちょっとばかり一家の主っぽくなってみたわけだ。
これは18にしては、重い荷物で、上を見りゃキリがないけど下を見てもキリがないっていうくらいの重さだ。
好きでなったわけではないが、私はこの状況を拒否もしなかった。
 だから友人知人に、この事を引き合いに、「私も大人にならなきゃなぁ…」というような事をよく言われた。

でもな、親が元気に生きてるうちにスネも齧っとくべきだよ?と私はその度言い返した。

世のニートを肯定しかねない発言、出た。(笑)

 親孝行したい時に親がおらず、と同じで、甘えたい時にも親はいなくなってますよ。
無理して背伸びして、大人になろうと肩肘張ってきた私にしてみれば、かじれるスネがあるのに、何故今のうちにかじっておかない?と思ったり…。
 その時々に、子供として満たされなかった思いは、寂しさとして一生ついてまいります。
また、親の方も子供がまだまだ自分を頼ってくれる事は嬉しいもんです。(多分)
 さて、私は経済的にはニートしておりませんが、精神的にはまだまだニート。大きなところで家族を頼ろうとしない私を、両親は少し寂しい思いで見ている事があるようです。
だから私は小さい所で親に甘えまくる。
家事を甘え、わがままを言い、手のかかる子供で居たい。

 世にニートがあふれ出したのは、世間が豊かになった事があると思います。
好きな仕事に付きたいというのも、職業選択の自由があるからこそ。
ニートは働く意欲をうまく社会に適応できませんが、親がその環境を許すからこそ成り立つ現象のはずです。
 これは、親の方も子供との距離を測りかねている実情があるからでは、と私は思うのです。
親のスネをかじりたいよ、かじらせてあげたいよ…。
悪い方向に働けば、ニートの完成です。
 どこまで手を伸ばしあえばいいのか、それはその親子が長年培ってきた物で測るしかないでしょう。他人が分かるもんじゃない。

 人にはバランスと言うものがあります。
かじりたいなら、親孝行も同時にするがよろしい。
逆に親は、かじらせてやりたいなら、親孝行も要求なさいな。

人よ、親に甘えろ。死ぬまで甘えてかまわん。
だが敬意も払え。親に心配されたまま、この世を去らせる子供になるな。


私は、親に心配をさせず、親に甘えて生きて行きたい。( ・ω・ )

e_02.gif
↑実はニートならワンクリック♪
語るようになっちゃ若くねぇ
 あー、受験生を見ただけでここまで語った今夜。若くねぇな。(笑)
何はともあれ、自分が好きな事でも、仕事にしたいというのはそれはそれでとても素敵な事です。
人生に適度な余裕を持たせたい私とちがって、全力でぶつかっていける人生と言うのも輝かしい。人は自分にない物を見る時、魅力的に感じるものさ♪

 でも私は人生に余裕を作るのも、才能のうちと思っておりますので、今日もウハウハと生きております。うはw(//▽//)

君も素敵、僕も素敵。

 さて、人生に余裕をもたせようとすると、色々と準備をしなければならない事があります。
いつかはやってくる雑事の軽減です。
例えば親の死去。

うわー、暗いテーマ。(ノ ゜Д゜)ノ = ┻┻

でもね、代替わりというのは、人生の中でも絶対にやってくる大きな波です。雑事も付きまとう、付きまとう。
どんだけお役所や銀行を行ったり来たりせねばならぬか?
周りに自分の代わりにやってくれる人がいるという人以外は肝に銘じておくがいいさっ。(笑)
 つーてもまだうちの両親健在です。元気元気。
 しかしながら私も18で、親も兄弟も上下関係おかまい無しに、実家は俺が主になると決めたけっこー漢前。
平気で親前で「親が死んだ時」の話をします。
 私は家族の中で末子で、一番上の姉とは親子ほどの年も離れておりますから、当然友人たちと比べて両親の年齢が高い。順当に行けば、一番先に葬式を出すのはうちの家な訳で…。
おそらくはそういう雑事がやってくる時に、なかなか「あの時はこうした、あーした」という知恵が、周りから手に入りにくいわけですよ。
 ですので親の生存中から、親と相談の上、出来る事はとっととしておきます。
20を越え、車を買う際に実印の入手の機会を得ると、家主名義から、水道、電気、ガス等々、いろんな支払い名義を親から奪い取りすべて私に。
各種保険と、いくばくかの財産の分与方法、実印はあそこだ、墓はここだ。誰と誰に連絡をするか、○○の事は叔父さんに、葬儀は兄夫婦に…いろんな事も指示されました。
 親が死んで、3〜7日の間に、これだけの事を先に決めておくとどれだけ慌てなくて済むか。(==)
 そんな暗い話を考えたくない、うちはまだ若い、と言う人も、年に一回くらいは考えてみるといいかも。
そうすると、「親孝行、したい時には、親がなし」って事態にも陥らないんじゃないかなー、と思う。

ま、親に「親が死んだ時の話」をするとたいてい怒られると思うけど。(笑)

e_02.gif
↑実は遺書を書いた事があるならワンクリック♪
一番好きなことは仕事にしない理由
 母親から言われてなるほどなーと思った言葉。
これは実にその通りでして、「私の」生き方には合っております。
 世の中には好きなことを仕事にしたい人は多いと思います。そりゃ当然。いいよね、それはそれで素敵。

でも私は好きな事は一秒たりとも嫌いになりたくないタイプ。

 例えば私だったらその好きな事とは『絵』です。
絵を仕事にする…絵描き?漫画家?
いいですね、うっとりします。
でも、それを職業に、私はしたくない。
私は好きな事でいつまでもアマチュアで居たいタイプです。
アマチュアの絵描き、アマチュアの漫画家、etc…。
 プロになると言う事は、その好きな事の中に苦しみや憎しみを抱く事を余儀なくされるものです。
それがお金をもらうと言う事。仕事という事。
その苦しみをも「喜び」に変えることが出来なければ、きっと「プロ」にはなれても、「幸せなプロ」にはなれないと思います。
 描きたくない絵も、クライアントの一声で描かなければなりません。
描く気分になれない時でも、締め切りを守って描かなければなりません。
いや、描けてこそプロなのです。
 好きな物だけ描いていたい、私の納得する作品だけを世に売りたい、そう思っている人間は、はっきり言って仕事感には、ずれた人間だと言わざる得ません。
成功するかどうかはそれが世の中に認められるかどうかですから、私は言及できませんけど。
 プロはどんな体調でも、一定のレベルの仕事をこなして、クライアントの納得するものを提示できなくてはならない。
あー、それ、無理。

だって私は「お金のため」でなく「自分のため」に絵を描きたいのだもの。(//▽//)ノ

絵で食っていけるようになりたい、というのは、自分の作品をまさしく「売る」訳です。売り手だけで市場は成り立ちません。買い手がいてこその経済活動です。
でも、私はただ「絵を描くのが好き」なわけでなく、「自分の好きなように絵を描くのが好き」なわけです。
 きっといくらお金のためでも、仕事のために絵を描き続けていくうちに、私は絵を描くという行為を憎む瞬間が来るだろうし、自分の魂を絵に込める事も出来なくなると思う。
技術も足りない自分の絵から、魂をとったら何も残らないしね。(笑)
 なので、私は一番好きな絵は、自分のためだけに取っておく。
それは「私」という存在を育てはぐくむためだけの手段であり、金を稼ぐ手段にはつかえない。

と言うわけで、仕事は二番目に好きな事が出来れば最高だね、という話♪

e_02.gif
↑就職決まったならワンクリック♪
本当に進学でいいですか?
 さて前述で就職の事を書きましたが、進学か就職か、その分かれ目はあなたの中ではっきりあるでしょうか?
 私は残念ながら取捨選択で選んだのですが、本来は進学でも、就職でも、前向きに選べるのが理想ですよね。
 私の場合、親兄弟はたくさんいるのですが、目下末子ながら実家で住んでいる者として、実家の稼ぎ頭になる事を選んだので、自動的に就職を選びました。きっぱりはっきりと稼ぎの術です。
また、明確に『一番好きな物は仕事にはしない』という意見も持っておりますので。
(これについては後述。)
 それに、進学で自分が学べる事とは何か?と考えた時に、それが「今でなければ」「そこでなければ」「自分に不可欠」という点を考えた所、どれひとつとして私に進学が合っているとは思えなかった。
芸大に行って絵を描きたかったのですが、絵はいつでもどこでも描けましたし、果たして芸大で4年過ごし、それで私の何が変わるかを考えてみた所、

それは単に就職するまでの時間稼ぎ

らしいと言う事が分かってしまったので、4年を棒に振らず即就職いたしました。
だって私は、芸大に入ったとして、美術の先生になりたいわけでも、絵描きになりたいわけでもなかったのですから。
 かっこいい事を言えば、芸大にはその気になれば幾つになっても入れるわけですので、今でなくてもいいや、と思ったのです。
それより今は、実家の主導権を握る(笑)事に集中して、大人として立派に土台を固めてから好きな事をしよう、と。
 家人は私に大学を勧めましたが、目指す所がない4年間を、どうせだったら金稼ぎ&社会のルールを学ぶ時間に充てた方が建設的だと思いました。
結局、なにかを仕事にしたいという「仕事」について熱い衝動のない私でしたから、これは正解だったと思います。
学ぶ立場である生活を続けるのなら、やはりそれは将来の「仕事」のためにはっきりとした目的を持って学生を続けたいですからね。
 そんなわけで、私は悠長に、社会人のまま、好きな絵を描き続けています。時々、絵を習いに行ったり、芸大の入学案内を眺めながら、ね♪

e_02.gif
↑実は高卒組ならワンクリック♪
高校受験と就職と〜たまには思い出を語ろう
 先日は高校受験でしたねー。
電車の中が学生と先生でいっぱいでした。

あー、あー、あー…受験ってこんなだっけ?(究極の記憶喪失)

自分が通ってきた道でも人生に一回の事を日付まで覚えとるもんかい。(ヶ)
ひとまずご苦労様です、受験生の皆様。m(_ _)m

 まぁ受験の後にもまだ人生は延々と続くわけで、ふとそんな事を思い起こします。
 私は高校生の時、漠然と芸大に行きたいなぁー程度に考えており、別に何の仕事をしたいとかもなかった実にのんびりした子でした。
だから高校が一応ギリギリ進学校で、入学したとたんに「大学はどこを目指しているの?」と担任に懇談された時、

「えーーーっっ?!入ったとたんにそんな事聞かれるのっ?!!(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル 」

と衝撃を受けたものでした。
わしゃ近いからこの学校を選んだだけで、知らんがなそんな事。(==)

でも学生にとって3年間は長いけど、世間にとって3年って短いらしいよ?

 さて、実際に三年生の時、私は考える所があり、大学には進まない事を決定。
一年の時に私に「大学も決めてないのか!」とせせら笑った教師に、「大学行かない事にしました☆」と言ってやれた時には、

正直せいせいした!

すっきりした!もうこの学校で思い残す事はない!(笑)
 就職組は10人いるかいないかの学校だったので、周りが大学受験、大学受験と大騒ぎな中、推薦とか、センターとか、とうとうそんな単語の意味も知らないまま、あっと言う間に卒業がやってきました。
 当然友達のすべては大学に進みましたので、高校卒業後はしばらく、友人たちの生活と足並みが揃いませんでした。
遊ぶ時間が合わせられないのね。
金だけはお給料があるから入ってくるんだけど。
 この高校生→社会人というのは、今から思えばかなり無理がある劇的生活の変化です。
就職面接時も、周りはスーツで身を固めた大学生やら、社会人な訳で、自分の事を「わたくし」と喋らなければいけないらしい事を、わたしゃ、面接会場で知りましたよ。
ははぁ、メモっとこ。ф(。。)
 まぁ、喉もと過ぎればなんとやら、です。
とにかく遊ぶなら学生のうちだよ、皆さん。( ・ω・ )ノ
乱文のまま終わる。

e_02.gif
↑言われなくても遊んでるならワンクリック♪
初・丸ペン
20060212102732.jpg

 ふとGペンにははっきり色合いベタ塗りが似合う、鉛筆線には水彩風が似合う−
のなら、細い線でペン入れなら中間のいい感じの絵が描けるだろうか?と丸ペンに挑戦。
 細い線はますますデッサンの狂いがばれやすいです。
メリハリも利かせにくいので、相当な表現力も要りますね。

あー、でもGペンで太い線描いてる方が性に合うと悟った。(==)

e_02.gif
↑もっと萌え絵を書けというならワンクリック♪
闇と海と
 海の話をもうひとつ。
現実的ではないが、私は磯の香りが嫌いと言うものの他に、もうひとつ海に対してよろしくない感情を抱いている。
 海が、怖い。
と言ってもそれは普通の海ではない。
 例えば沖合いの海の波。舟から見下ろす波は、ねっとりとした油のように重たげにうねって、その底に得体の知れないものを潜めている。
吸い込まれそうで、絡め取られそうで、もしあそこに体を浸したら、見えない水面の底から、巨大な何かに足を食いちぎられそうだ。
海を恐れない人たち。
視覚で生きている人間が、どうして自分で確認の出来ない得体の知れない空間に、無防備に体を晒していられるのかが不思議になる。
 そして、何よりも恐ろしいのは夜の海である。
真っ暗な海。
ゴンゴンと打ち付ける海鳴りの音、ビュウビュウと唸る風の音だけが頭の中に響く。
海の水が油のように重たげに見えたのは、その夜の海を体験してからだから。
ああ、海には妖怪がいる、魔物がいると察しました。
 夜の海を経験するのは、いつでも大勢の人間と一緒ですが、私は人と共にいてあれほど恐怖感を感じる事は他にはありません。
だから、夜の海へ行く事があっても、波打ち際には近づかないでおこう。沖合いの遠くを、ぼんやりと眺めないようにしよう。きっと私は呑み込まれる。きっと私は海に呼ばれる。
 私の海へ対する恐怖感は、表面上取り乱すようなタイプのものではないけれど、私は心の中で魔物に隙を見せないよう、ギュッと奥歯を噛み締めている。怖いが故に、海を睨みつけている…。

e_02.gif
↑私は海が好きならワンクリック♪
死んだ海
 ついでに海の話をしよう。

 近くの海、磯の香りがしませんか?
私はこの磯の香りと言うやつがダメである。
好きな人も多いね。
 しかし小さい頃から私は磯の香りをかぐと頭が痛くなり大変な思いをしてきた。海から取ってきた貝殻の匂いだけでもアウトである。
だから極力海を避ける。山に行く。山はフィトンチッドの匂いであふれているし。
 ところが数年前、屋久島を訪れた時、あまりの海の綺麗さに驚いた。近くの海では見ることのない透明度の高さにも。
そして何よりも不思議だったのが、磯の香りのしない事。
私は始めて頭痛無しに海を満喫する事が出来た。
南の海は、海嫌いの私の中で特別の位置づけをされた。
 後日この事が気になって調べてみると、謎が解明された。
磯の香りと言う物は、プランクトンが死滅して発生する匂いなのだと言う。透明度の高さもこれに通じる所がある。
 つまり、海が死んでいるわけだ。
ああ、じゃあ私は海が嫌いなのではなく、死んだ海を嫌がっていたのだな、と初めて腑に落ちた。
 私の中で海とは、今でもエメラルドの、潮の匂いとは無縁の世界である。

e_02.gif
↑潮の香りは美味そうな匂いと思うならワンクリック♪
音楽と植物の関係論
 植物は音階の中で、レとラの音階が嫌いである。
そういう学説をその昔読んだ事がある。
ここで挙げられるのが、沖縄音楽である。
 沖縄音楽の音階には、レとラがない。
ドレミファ…とレとラを抜いて奏でてみると、音がいきなり沖縄音楽っぽくなるので素人にも一目瞭然だ。(一目?)
 南の方は奄美諸島と言い、屋久島と言い、植物のパラダイス。気候もあるが、こう言った事実を聞くと、すごく納得がする。

e_02.gif
↑沖縄音楽好きならワンクリック♪